チャイナ

どうにもとまらない

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110819-OYT1T00840.htm 副大統領が来てる試合だからって 特別なことしなくていい。 試合はバトルだ。熱くなれ。もっとやれ。 いざとなったら武器もだせ。

中国の長くて短い話(16)〜密輸ごっこ〜

昆明へ行く前にマカオの隣の町珠海へ立ち寄る。 旅行資金を調達するために。 当時の留学生は、将来の外交を担うよう優秀な国費留学生も どうでもいいようなちゃらちゃらした私のような留学生にも 一律1つの特権が与えられていた。 それは、生活家電一式を免…

中国の長くて短い話(15)〜昆明からバンコック〜

時々思い出すのだけれど、 それはとても強烈な体験だったので 今となっては現実と夢とが混在してしまっているかもしれない。 でも私一人だけの経験ではなかったので きっと本当の出来事だったんだと思う。 『あの時のこと』を共有する人に確かめたけど その…

中国の長くて短い話(14)〜北京での再会〜

あれは去年の年末のこと。 北京からの帰り、 上海まで乗る予定だったフライトがキャンセルなった。 とてもよくあることなので誰もあわてていない。 航空会社カウンターで 新たに座席の予約の手配をお願いして、準備ができるまで そこでボーっと呆けていたそ…

中国の長くて短い話(13)〜列車で出会った人〜

モスクワまでの8日間の移動中 私以外にも一人日本人が乗っていた。 満州里から乗ってきた世界一周をめざす男子大学生 『人類みな兄弟』と大きな声で言う。 停車した駅のプラットフォームで 立ち話をする程度だったけど モスクワに着いたら、出口で待ってい…

中国の長くて短い話(12)〜学生商売〜

ベルリンの壁が崩壊したあと 北京にいた旧東欧の人たちのはなし。 自分たちだけであれば北京に残って奨学金だけで 生活できるけれど、国に残っている家族は食べるものにも 苦労している。どうにかしないとけない、と考えていた。 当時の東欧の中で一番豊かだ…

中国の長くて短い話(11)〜いなくなったひとたち〜

留学の後期、 中国語と日本語の“相互学習”をしていた女子学生が留学生寮への入室を禁止されるようになった。(その以前から、寮にはいるには登録制だったけど) 私が会いにいったり、そとで一緒に散歩したしていると “当局”から“注意”をうけるようになって、…

中国の長くて短い話(10)〜大陸横断の始まり〜

1992年の6月中旬 当時、台湾にいた私は アルバイトで稼いだ全財産を米ドルに換えて 空路でソウルに入り、 それから仁川から船で天津へ 天津からバスで清華大学へ戻った。 あるミッションを遂行するために。 例年、留学生の多くは夏休みを利用して帰国する人…

中国の長くて短い話(9)〜自転車と黒市〜

中国生活についての多くは、清華大学留学生寮に住んでいた 各国の(多くは第三国と言われていた時代の貧しい国)の留学生から教えてもらった。 たとえば自転車。 自分で買うのではなく、帰国した留学生から譲り受ける或いは買い取ること。 新品など買った日…

中国の長くて短い話(8)〜チンメイと高老師〜

留学生寮での最初のルームメイトは、 晴美ちゃんという色白でぽっちゃりした大学院生だった。 クラスメイトはみな、中国語読みで呼び合っていたので 晴美がチンメイで、私はDubianと呼ばれていた。 ある日、チンメイが プロポーズされたと言って部屋に…

中国の長くて短い話(7)〜パンダ〜

天津動物園でパンダをみた。 小屋の中でおとなしく笹を食べていた。 ガラスに一枚の注意書き 『ガラスを割った人 罰金8元(約130円)』

中国の長くて短い話(6)〜学生寮〜

当時の中国人の大学生は、 在学中は必ず校内の学生寮に宿泊しないといけないという規則だった。 私が留学していた時、自宅通勤をしていた中国人学生は1人しかしらない。 当時の副市長の息子といううわさの男子学生(且つ外車を乗りつけて いつも固定の女の…

中国の長くて短い話(5)〜学生食堂〜

逆上がりの練習が夕食時間にかかる。 そういう場合は、『一緒に食べよう』ということになるのだけど 食堂へいく前にいろいろと準備が必要だった。 当時、大学構内にある食堂は、 職員用、来客用、一般学生用、留学生用と食堂によって利用者が別れていた。 正…

中国の長くて短い話(4)〜金雷と上海〜

清華大学は中国一広いキャンバスで 自転車がないと宿舎から校外にでるのに大変な広さだったけれど 宿舎のほかに銀行、郵便局、野菜市場なんかが点在していて 校外にでなくてもそこの住人たちは生活に困らないようにできていた。 老人ホームもあったし、総合…

中国の長くて短い話(3)〜涼子さんのおさげ〜

涼子さんは、 某日中交流協会からの派遣で2年間の留学にきていて 私が初めてあった時は、あと6ヶ月を残すだけの時だった。 色が白くて背が高く、 1年半も切っていないという黒い髪を 二つにお下げにして、白いシャツと黒いズボン、 外見からは中国人と区…

中国の長くて短い話(2)〜焼き芋とカップラーメン〜

1989年2月の上海。 大学のゼミの先生と仲間との団体旅行。 はじめての海外。 降り立ったはじめての外国は どんよりくもって一面モノトーンだった。 嘉里中心はまだなかったけれど、 延安西路の上海展覧中心へ見学にいったのは覚えている。 たしか博物館…

中国の長くて短い話(1)〜原田さんの部屋〜

留学時代のことを思い浮かべると 最初に頭に浮かんでくるのは、原田さんの部屋の前にあった藍色の暖簾。 太字に白で、読めない難しい漢字が書いてあった。 なんて読むのか毎回、原田さんに聞こうと思っていたんだけど ドアを開けると、いつもたくさんの人た…

すべて中国から教わった?  チャーハン

チャーハンを作るとき しょうがとにんにくをいためてから 作ると味に深みがでる。 もしかしてみなさんもうご存知?

すべて中国から教わった? セルフブランディング

■他人を信じる能力 ■セルフブランディング 自分の生活環境を広げるために ======================= ちょっと前までの人とのつながりと言えば、 誰かの紹介で会うとか、TVの中で見ているだけとかだったけど、 ○→○→○ ?並んでやってくる関係】 …

すべて中国から教わった? 人間関係

中国生活で学んだうまくいく人間関係のつくり方: ?情報を“常にちょっと”共有する(赤いとこ) ?あとはお互いそれぞれ自由に活動(黄色いとこ) ?経験・行動範囲を広めるているうちに自分たちも成長する(矢印のとこ) ポイントは“常にちょっと”部のバランス…