中国の長くて短い話(12)〜学生商売〜



ベルリンの壁が崩壊したあと

北京にいた旧東欧の人たちのはなし。


自分たちだけであれば北京に残って奨学金だけで

生活できるけれど、国に残っている家族は食べるものにも

苦労している。どうにかしないとけない、と考えていた。

当時の東欧の中で一番豊かだったハンガリー。

その学生のお父さんが外交官で当時の西欧に伝手があるということだったので、

中国製品を持っていって売り込むことにした。

モノは育毛剤101。



帰省をかねて運ぶ学生総勢50名。

杭州や上海からも集まってきていた。

ほとんどはロシア鉄道で帰省するロシア人、ハンガリー人、旧ユーゴスラビア人

ブルガリア人の学生だった。


購入先はもちろん百貨店や薬局ではない。

製造工場へ買い付けに行った。



中国人学生の伝手で工場の人とすでに話がついていた。

ネットのない時代だったけど学生たちのつながりは強力で正確だった。



バスを何度も乗り換えてたどりついた101工場は、

『大地の子』の牧草地のようになんにもないところだった。

そして、働いている人たちがは、ほとんど目に障害のある人たちだった。

白衣を着て、工場内を行ったり来たりしている人たち。

移動するときは、数人が肩に手を当てながら

並んで、迷路のような廊下を歩いている。

あっちにも。こっちにも。


小さな小部屋に通され、通常の1.5倍の値段で現金で購入。

もちろん工場の帳簿には載らない闇ルート。

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当時は外国人は留学生であっても別枠に対応してもらうことができた。

たぶんそんなことができた最後の年だったのかもしれない。


何組かのグループにわかれて、北京からロシアへ向けて出発した。


乗客のほとんどが中国の商人、家族での移民。

崩壊したヨーロッパへ商機を求めて旅立つ生命力にあふれた人たち。


列車が停車するたびに窓を開け、衣類や日常製品をモスクワに着くまで

売りさばいていた。現地の人はすでに知っていて

列車がとまるホームは市場のような賑わいだった。

窓から商品をひったくる人

すきあらば客室に入ってこようとする人

ぶつぶつ交換の交渉に来る人



ロシアにはほんとうに何もなかった。