宇宙からの生還



手術の2日前の早朝から入院するようにと指示があったので

入院セットの入ったバックパックをしょって一人で病院へ行き、

パジャマに着替えてベットでごろごろする。

ルームメイトはまだだれもいない。

二人部屋で一人きり。



しばらくして退屈でいられなくなり、

通院していた時かならず訪れていた売店に

パジャマでいって、りんごとみかんを買う。

上海の日曜の朝を思い出す。



そうして、またしばらく病室でぶらぶらしていると

看護師さんが呼びにきた。

同じ日に手術を受ける人(総勢8名)を集めて

施設説明をしてくれるという。



見たところ手術メイトは50代3名、40代3名、30代2名のよう。

名刺代わりに、おたがいの癌の話を始める。

私とおなじ苗字の人が3名もいた。



入院中は名前・生年月日・6桁の入院番号がついたID腕輪をつけさせられる。

点滴をする際は毎回、看護師さんと一緒に番号を読み上げて確認する。



夜になって、“傾聴”看護師と呼ばれる(勝手に命名)がやってきて

私の癌ストーリーを最初から話せという。

椅子にも座って聞く気満々だ。

多分これも治療の一環なのだろう。

途中『大変だったね』とか『そんなこともあったの』などと

絶妙の合いの手がはいる。人の話を聴くトレーニングを受けた人なんだな。



傾聴看護師さんが出て行ってからすぐに

今度は手術の執刀医が2人やってきた。

この先生と会うのは初めてだ。



この6ヶ月間、お世話になっている外来の先生との話では、

病巣を全部切除しても、手術ではとりきれない部分はあるので

予防的対策として卵巣も摘出することにしていた。

生活の質の向上を重視した治療法を選択して

ホルトバギーのアルゴリズムという治療手順にしたがった

内分泌治療を進めていた。



でも、その晩やってきた先生は、もっと切るという。

手術前に行われる検討会議でもっときったほうがいいという結論になったらしい。

患者の意見も聞かずに。なんとも恐ろしいことではないか。



先生とのやり取りはここでは書けないけど、

この時の医師との対応は自分でもよくやった(と、思う)

自分の考えや思いを冷静に話した(と、思う)

医師も理解してくれ、この先生とはその後とてもよい関係が築けた(と、思う)



上海を離れる時、私の敬愛する某人が

『日本のがん治療は世界でも最先端だから、医者の言うことを聴いて

素直に治療をしていれば、絶対大丈夫だから安心してお帰りなさい』

と激励しておくり出してくれていたけど。



その貴重な忠告は聞き入れられなかった。

だって自分のことだから。

死ぬ瞬間までNOと言ったことを後悔しないとここに誓います。




手術の日


手術台に乗せられて、いよいよ手術という時。


まるで般若心経を読み上げる朝の勤行のように

そこにいた10名ほどの関係者が私のID番号、生年月日、フルネームを大きな声で読み上げる。

そこには患者の心のケアはなかった。

みなさんのバイブルは医療事故防止マニュアル。

乳腺外科、婦人科、皮膚科の先生がそれぞれの“パーツ”を担当する。



ワンダーフォーゲル部出身の大きな看護師さんが

ずっとそばについていて、注射をする前は必ず

『ちくっとしていたいです』『にぶい痛みが縦にします』などと

痛みの説明を細かくしてくれる。私の身体を付けながら。

背中に痛み止めの管を通すと身体がぴくぴく動いてしまう。

日本の看護師さんは世界一やさしいな、日本にすんでると女性がやさしくなるのかも

私もやさしかった頃の日本人に戻ろう、などと考えているうちに

麻酔を吸い込んで意識を失う。

2時間後くらいに覚醒。すぐにガラガラとベットのまま病室に戻る。



病室に戻って、朦朧としているところに

“ごめんなさい”というのが口癖のごめんなさい看護師さんが部屋に入ってきた。

『ごめんなさい、おはようございます』『ごめんなさい、点滴換えます』

発する言葉の最初がすべて『ごめんなさい』からはじまるのだ



『ごめんなさい、部屋を移ってもらいます』

手術の直後なのに?術後の頭はまだふらふらしている。

それから数人の看護師さんがやってきて

ベットのまま、持ち物や残していたりんごやみかんと一緒に

移動させられた。


翌日、意識がはっきりしたときに

移動の理由を聞いていたのだけれどはっきりしない。



そういえば、入院初日の夜、薄い明かりの中で

他の患者さんもベットのまま移動させられていた。

看護師さんの照らす懐中電灯がゆらゆらして

遠くから見るとメリーゴーランドのようだった。





部屋の移動について患者の立場として

どうしても納得がいかなかったので院長さん宛てに手紙を書いた。

(書いてる時点で3回目の移動が決まっていた。)(クレーム書きは前職場からの癖?)

ぐちゃぐちゃな紙から、清書をしていると、

ごめんない看護師さんや傾聴看護師さんが部屋にやってきて、部屋移動の内情を

話してくれた。看護婦さん個人のちからではどうしようもないことなんだ。




封書をして院長さまへと宛名を書いているところに

病院の看護師長さんがやってきた。

病室内の不穏な動きはすべて察知しているよう。

小さな丸い身体に鋭い目。

床に落ちたりんごを洗わず食べたこともばれているだろう。


看護師長さんに、

私は移動には同意しますが、その理由については不思議でならない、と伝える。

本来なら、患者のさまざまな様態に応じて割り振りする部屋数がないといけないのだが

慢性的に部不足なのだという。

それで、移動してくれといいやすい患者(看病人のない、愛想のよい人=私)が

移動の対象になっているのだそうだ。

医者も看護師の数もたりない、でも入院患者はどんどん増える

医療事故を防ぐための組織横断的な体制の対応ばかりに追われ

患者の心のケアにしわ寄せがきているとも言っていた。

この問題は病院の中では解決できないことなんだと思った。

結局、師長さんの判断で3回目の移動はしなくてよいということになった。




折角書いた、長い手紙。このまま捨てるのは惜しい。

院長へ書いた手紙の宛名を県知事にして

外のポストに投函した。



そうしているうちに無事に退院。