中国の長くて短い話(8)〜チンメイと高老師〜



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留学生寮での最初のルームメイトは、

晴美ちゃんという色白でぽっちゃりした大学院生だった。

クラスメイトはみな、中国語読みで呼び合っていたので

晴美がチンメイで、私はDubianと呼ばれていた。


ある日、チンメイが

プロポーズされたと言って部屋に帰ってきた。

相手は私たちの中国語の先生、高老師だという。



高老師は清華大学の大学院で法学を学んでいる青年で

留学生に中国語を教えるのはアルバイトとしても

本業の法学を、となりの北京大学で学部生向けに教えている

かなり優秀な人だった。

当時のほかの優秀な人と同じように、とても貧清な生活を送っていた。

いつも白いシャツに、背の高い先生には丈が短すぎるズボン。



プロポーズのコトバは

『結婚して一緒にドイツに行こう』ということらしかった。



漢語初級Bクラス(つまりは下から2番目のレベル)に所属していた

チンメイは高老師の熱いそのコトバをすぐには理解することができず、

老師に3回言わせ、最後にはノートに書いてもらってやっと理解した、

と私に説明した。




『で、返事はどうしたの』と聞くと、

チンメイはプロポーズのコトバを理解するのに

こんなに時間がかかったにも関わらず

『好的(OK)』といったそうだ。



それしか言えなかったというわけでなく、

高老師に自分の人生をかけてみてもいいと思ったんだそうだ。

チンメイはきらきらまぶしいくらい嬉しそうだった。



チンメイの北海道の実家は牧場を経営していて、お父さんは町長をやっていた。

3人いるお姉さんたちはみんな早々とお嫁にいって、末っ子のチンメイは

最後に残された末娘として、お父さんに大事にされていた。

日本の大学院で国際関係学とかを勉強していて、

翌年に外交官試験を受けるといっていた。

お父さんからは毎日、国際電話がかかってきていた。


私が半年ほど日本へ帰っている間に、

チンメイは北京では語学が上達しないと言って、高老師の故郷杭州へ移ってしまい

携帯電話もメールもない時代だったので、そのうち連絡が途絶えてしまった。

天安門事件の前のこと。


高老師はあのどさくさ期、ドイツへ脱出したといううわさだった。

たくさんの中国人の学生が世界中にちらばった。

ある人は捕まって、ある人はそのまま中国を忘れ

ある人は中国に戻りたくてももどれない人生を送っている。


チンメイと再会したのは、

それから長い年月がたってからだった。

混雑しているイミグレーションの、偶然並んだ先にチンメイがいた。

チンメイは成田空港の入局審査官になっていた。

私のパスポートに事務的にスタンプを押すチンメイ。

確かに懐かしいチンメイだったけど、チンメイの目には

あの時の情熱はすっかりなくなっているようだった。



中国にいると人生をかけたくなることが、ときどき身近におきる。

そして日本に戻るとそれはしぼむ。