中国の長くて短い話(9)〜自転車と黒市〜



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中国生活についての多くは、清華大学留学生寮に住んでいた

各国の(多くは第三国と言われていた時代の貧しい国)の留学生から教えてもらった。


たとえば自転車。

自分で買うのではなく、帰国した留学生から譲り受ける或いは買い取ること。

新品など買った日には、翌日なくなっている。

中古自転車情報も、食堂で『ちょっと自転車1台さがしてるんだけど』というと

誰々が帰ったらしいなどと、すぐに情報が入ってくる。Six Degrees of Separation。

中国語の教科書の出版元で有名な北京語言学院へ初めていったのも、

自転車をもらうためだった。

日本からの送金は語言学院内の郵便局に届いたので

それからなんども行く事になる。

当時の北京語言学院の留学生寮は魔の巣窟で一人ではあるけないエリアだった。

それはまた別な長い話になるけど。



それから兌換券。

両替をしてまずもらうのが、兌換券といわれる外国人用の紙幣。

1995年に廃止されるまでは、外貨を直接には人民元に替えられなかったので

外国人用のデパートでの買い物客はこの兌換券をもっている人に限られた。

当時、兌換券は人民元の4割増しで取引されていた

(100元兌換券=140人民元)

クロワッサンとか醤油とか、ちょっとした嗜好品なんかは

外国人用デパート(友誼商店しかなかった!)で買うしかなかったけれど、

留学生の私たちは、一般の商店での買い物で十分だったので、

兌換券より人民元がほしかった。


黒市(ブラックマーケット)

“五道口”はいまでこそ1つの学園街みたいになっているけど

当時は清華大学東門から人民大学へ向かうただの1本のちいさな道だった。

道の両脇に、掘っ立て小屋でできた小さな”自由商店”が立ち並んでいて

大体は、同じ種類のTシャツとかジーパンとかを表向き

売っているのだけれど、ここが黒市だった。

兌換券だけでなく、日本円も米ドルも変えてくれる。

AV本も買ってくれるというので、

香港でそれはすごい無修正の本を買って“五道口”で

買ってもらおうとしたら『こんなポーズのはいらない』

と却下されたことがある。


清華大学の留学生たちは自国からも奨学金を

配給されていたので、配給日はみなそれぞれの

大使館にわざわざでむいて、現金で米ドルをもらっていた。

そして直接黒市にいって、4割り増しの人民元を手にしていたのだ。

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その後、ベルリンの壁が崩壊して

奨学金をもらっていた東欧の学生たちの支給額が激減、

エリートだったかれらの生活を直撃。

そして、彼らは大陸をまたいで、すごいことを実行する。