中国の長くて短い話(2)〜焼き芋とカップラーメン〜



f:id:dubian007:20110609120515j:image

1989年2月の上海。

大学のゼミの先生と仲間との団体旅行。

はじめての海外。

降り立ったはじめての外国は

どんよりくもって一面モノトーンだった。



嘉里中心はまだなかったけれど、

延安西路の上海展覧中心へ見学にいったのは覚えている。

たしか博物館として使われていたと思う。


当時、まだほとんどの人たちがグレーか紺色の人民服をきていて、

女性はみな長い髪の毛をおさげにしていた。

延安西路はまだ舗装されていなくじゃりじゃりしていて、

道幅は狭かった。

雨が降れば、ぬかるみになるであろうその道を

人々は中国独特の布の靴であるいていた。

その道は一面のひと、ひと、ひと。



自転車の川だった。



展覧中心の前で

ドラム缶で焼き芋を焼いている親父がいた。


香ばしい匂いに誘われて覗きにいくと、

親父が黒い手で1本ほくほくの芋を差し出した。

炭でほどよく焼かれた焼き芋。

パリパリにちょっとこげた皮までも深い味わいがした。


空港で換えたばかりの兌換券を出して(当時レート1元=36.55円)

袋一杯に焼き芋をかった。

おもちゃのような兌換券を手に親父も笑った。

いつのまにか集まってきていた人民服の人たちも笑った。



上海、西安、蘭州、敦煌、トルファン、北京を2週間で

高級バスや一等列車でまわるバブリーな旅行だったけど、

私たちはどの街へいっても焼き芋を探す中毒者になっていた。

焼き芋ジャンキー。ドラム缶に何かはいってたかなんて気にしない。



旅行前の注意書きに

『食事が合わない場合に備えて非常食を携帯すること』

とあったので、トランク半分にカップラーメンを詰め込んでいた。

でもそれは焼き芋を食べた瞬間に無用の長物となった。


旅先で出される数々の中華料理。

東京で自炊生活をしていた私にとって、

本場の中華はおふくろの味以上のおいしさだった。

そして夜中に食べるカップラーメンの誘惑。

水の代わりに飲むビール。


日本にもどったら体重が8キロ増えていた。



戻ってきてすぐ私は単独北京に行くことを決心した。

先輩の涼子さんを頼って清華大学へ。