中国の長くて短い話(2)〜焼き芋とカップラーメン〜
1989年2月の上海。
大学のゼミの先生と仲間との団体旅行。
はじめての海外。
降り立ったはじめての外国は
どんよりくもって一面モノトーンだった。
嘉里中心はまだなかったけれど、
延安西路の上海展覧中心へ見学にいったのは覚えている。
たしか博物館として使われていたと思う。
当時、まだほとんどの人たちがグレーか紺色の人民服をきていて、
女性はみな長い髪の毛をおさげにしていた。
延安西路はまだ舗装されていなくじゃりじゃりしていて、
道幅は狭かった。
雨が降れば、ぬかるみになるであろうその道を
人々は中国独特の布の靴であるいていた。
その道は一面のひと、ひと、ひと。
自転車の川だった。
展覧中心の前で
ドラム缶で焼き芋を焼いている親父がいた。
香ばしい匂いに誘われて覗きにいくと、
親父が黒い手で1本ほくほくの芋を差し出した。
炭でほどよく焼かれた焼き芋。
パリパリにちょっとこげた皮までも深い味わいがした。
空港で換えたばかりの兌換券を出して(当時レート1元=36.55円)
袋一杯に焼き芋をかった。
おもちゃのような兌換券を手に親父も笑った。
いつのまにか集まってきていた人民服の人たちも笑った。
上海、西安、蘭州、敦煌、トルファン、北京を2週間で
高級バスや一等列車でまわるバブリーな旅行だったけど、
私たちはどの街へいっても焼き芋を探す中毒者になっていた。
焼き芋ジャンキー。ドラム缶に何かはいってたかなんて気にしない。
旅行前の注意書きに
『食事が合わない場合に備えて非常食を携帯すること』
とあったので、トランク半分にカップラーメンを詰め込んでいた。
でもそれは焼き芋を食べた瞬間に無用の長物となった。
旅先で出される数々の中華料理。
東京で自炊生活をしていた私にとって、
本場の中華はおふくろの味以上のおいしさだった。
そして夜中に食べるカップラーメンの誘惑。
水の代わりに飲むビール。
日本にもどったら体重が8キロ増えていた。
戻ってきてすぐ私は単独北京に行くことを決心した。
先輩の涼子さんを頼って清華大学へ。