無境界 ケン・ウィルバー



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白いキャンパスに円を描いたとき、

円を境界として内側と外側という概念が生じる。



また、私たちが内側という言葉を用いるとき、

我々の脳裏には、境界とその外側が存在している。



このように、ひとつのことを表現することは、

対立するもう一半を表現することになる。



例えば、上に対しての下。強に対しての弱。美に対しての醜。

善に対しての悪。平和に対しての戦争。快楽に対しての苦痛。



つまり、どちらか、一半だけ存在することは有り得ない。



苦しいことがあるから、楽しいことがあり、

死があって、生がある。



私たちは、時折、想像する。

相対立する対の好ましくない否定的な極をすべて根絶やしにすれば、人生は完全に美しいものになると…

しかし、苦痛、悪、病気を消し去った瞬間に、快楽、善、健康というものは存在しなくなる。



このように考えていくと、苦痛は快楽であり、病気は健康であることがわかる。

本来割り切れないリアリティーに対して、私たち人間が言葉を使って境界を作っているに過ぎない。



自己と他者もそうである。

他者があっての自分であり、自分あっての他者である。

これらは、本来はひとつのものだ。


無境界の世界に生きる。


哲学者ルードウィヒ・ヴィトゲンシュタインの言葉が聞こえてくる。

「我々は、言葉にて語り得るものを語りつくしたとき、

言葉にて語り得ないものを知ることがあるだろう。」



出所:『無境界』ケン・ウィルバー著 へのブックレビューby佐藤大介さん